荒川区伝統工芸技術保存会の成り立ち
昭和57年(1982)10月1日、荒川区文化財保護条例が施行され、荒川区でも本格的な有形・無形文化財の保護事業が始まりました。この時に伝統的地域文化の保存に努めることを目的に誕生した文化財保護団体が荒川区伝統工芸技術保存会で、荒川区の補助を受けながら活動しています。
これに先立つ昭和50年には文化財保護法、51年には東京都文化財保護条例が改正され、文化財保護のために欠くことのできない伝統的な技術・技能で保存措置の必要なものの調査が翌52年に始まりました。
この時には区に文化財担当部署は無く、郷土史の会荒川史談会と荒川区教育委員会の職員が区内を調査し、当初30名、5年がかりで86名の職人を把握、その成果を公開するための事業が昭和56年の「第1回あらかわの伝統技術展」です。
そして翌年、荒川区伝統工芸技術保存会の誕生と共に、伝統工芸を無形文化財のひとつとして登録、その保持者の認定も始まりました。
伝統技術展の恒例化と共に、昭和59年からは後継者の育成も考え、荒川区内の小学校で技術を見せる「あらかわ学校職人教室」を開始しました。
昭和60年度からは指定無形文化財の保持者の記録映像「伝統に生きる」を制作開始、平成2年からは区が作品を購入して保存するようになりました。
この永年の実績が評価され、平成26年度「ふるさとづくり大賞 総務大臣賞」の団体表彰を受けています。
また、通称「匠育成事業」(荒川区伝統工芸技術継承者育成支援事業)が平成21年から開始され、区の支援を受けて次々と若い職人が育っています。
毎年開催される「あらかわの伝統技術展」では、熟練の職人の技と共に、この若手職人「あらむく団」の成果も見ることが出来ます。
母体の荒川史談会の活動は休止しましたが、そのOBの方々、区長を始め生涯学習課の担当、文化財保護を担当する荒川ふるさと文化館の職員の助力を得て、区の文化財である伝統工芸の保存・普及のため、さらに活発な活動を行なっています。
記 中村泰士
(勘亭流・江戸文字・寄席文字)
大紋「あらかわ」の成り立ち
この「あらかわ」の文字について、これを書いた保存会の中村泰士氏(橘右橘)の言を紹介します。
平成元年、当時の荒川区伝統工芸技術保存会の事務局長は、のれん染の須佐さん。荒川史談会の一員でもあり、この保存会を作り上げた功労者です。この方が会の揃いの半纏を作ろうと、襟字とともにあらかわの丸をデザインしてほしいと私へのご依頼。「ん」や「し」など右にはねあげるものなら形になりますが、はっきり言って無理です。それでもと懇願され、ひねり出したのが「わ」の丸。「か」まで普通にすると中が混み入ってしまうので、変体仮名の「可」にして濁点。襟字も一つ一つにしてしまえば消えもの、番付仕立てにして最上段に會の名を黒地に白抜き文字、上部中央に代紋、実は朱鏡と言って隙間に朱色を入れて書き上げたものです。現物は恒例『あらかわの伝統技術展』の私のブースに必ず掛けております。